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「寝たきりで天井を見つめるだけになっても魂は成長しています」       (―NHKスペシャル「彼女は安楽死を選んだ」を見てー)


 先日、ふと目に入ったNHKスペシャル「彼女は安楽死を選んだ」を見ました。この番組が最初に放送されたのは、2019年6月2日(日)でしたが、私が見たのは2019年12月28日の再々放送でした。初めの放送後の反響が大きく、年末に再々放送されたようです。


 番組の題名を見た瞬間ドキッとするものがありました。そして致死薬の点滴のバルブを開こうとする場面では、思わず部屋に飛び込んでその手を止めたい衝動に駆られました。放送を見終わった時にはいろいろな感情が交錯しており、その中で一番強かったのが“ああ、彼女がシルバーバーチの霊訓に出会っていたら!”という思いでした。

 ご覧になった方もいらっしゃると思いますが、放送の内容を簡単に紹介すると、48歳の時に神経変異疾患の一つである「多系統萎縮症(たけいとういしゅくしょう)」の告知を受けた小島ミナさん(当時52歳)という女性が、2018年11月28日にスイスの自殺幇助(ほうじょ)団体「ライフサークル」で安楽死を実行するまでのようすを密着取材したドキュメンタリーです。

 「多系統萎縮症」というのは、中枢神経系の障害によって体の機能が徐々に失われていく病気で、発症する原因も治療法もよく分かっていない難病です。とても大変な病気で、症状が進むと指一本、時には瞼(まぶた)でさえ自分では動かすことができなくなり、人工呼吸器と胃瘻(いろう)で寝たきりの日々を送るようになります。

 その過酷さは私の想像をはるかに越えたものだと思います。病気になる前のミナさんは、ユーモアのある聡明な方だっただけに、この病気になった時のミナさんの驚きとショックがどれほどのものだったかは想像に難くありません。そしてどんどん日常の何気ない動作ができなくなっていく自分のありさまに恐怖を感じ、いずれ寝たきりでただ天上を見ているしかなくなる自分に生き続ける意味をどうしても見出せず、何度も自殺未遂を繰り返した上で、選んだのが「安楽死」でした。それには、彼女を支えてくれていた2人のお姉さんや妹さんたちに、これ以上負担をかけたくないという思いもあったでしょう。その気持ちは私にも理解できます。


 「安楽死」は利己性の強い「自殺」とは異なり、“治る見込みのない病気で苦しんでいる人を少しでも早くその苦しみから解放してあげたい”、という思いやりの気持ちから出たものです。そのため、多くの人々の賛同を得ています。しかし、それは“物質的視点”のみから見たものです。“霊的視点“から見ると「安楽死」は間違った考えです。なぜなら生命は大霊(神)から与えられたものであり人間のものではありません。生命が人間のものでない以上、自分で勝手に地上人生を終らせてしまうことは摂理に反することになるのです。さらに物質的視点から見ると無意味に思える苦しみであっても、霊的視点から見るとカルマを解消したり、魂が霊的な学びをしているのです。「安楽死」は、魂が成長するための貴重なチャンスを棒に振ることになってしまうのです。


 私は、ミナさんが霊的真理に出会う前に地上を旅立たれてしまったことが本当に残念でたまりません。ましてやミナさんの回りには彼女を支えてくれる姉妹がいたことを考えると悔しい気持ちでいっぱいになります。

 最近「安楽死」を望む人が急に増えてきているようです。今「安楽死」を考えていらっしゃる皆さん、寝たきりの人生にも深い意味があります。ですからどうか苦しみに耐えて生き抜く勇気を持ってください。それが言葉で言うほど容易(たやす)いものではないことは、抗がん剤の副作用で途切れることのない痺れと痛みをかかえて日々をすごしている私にも少しは理解できます。でも、“あの時の苦しみに耐えて生き抜いてよかった!”と思える時が必ずきます。これは単なる気休めでも慰めでもありません。霊的事実なのです。そしてその後には今味わっている苦しみの何倍もの喜びが待っているのですから……。


※「安楽死」については、スピリチュアリズム普及会のHPの“スピリチュアリズムの思想Ⅰ第2章(4)-4)⑤安楽死・延命治療・尊厳死”をご覧ください。

※なお、引用にあたっては、スピリチュアリズム普及会の許可を得ています。

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     ◎シルバーバーチの言葉

◆——回復の見込みがない患者を安楽死させる権利を医者に与えるべきだ、という意見がありますが、どう思われますか。
 「まず申し上げておきたいのは、すべての生命は大霊のものだということです。肉体が衰えて霊がその肉体から解放される時がくれば、人間は自然の摂理に従って死を迎えます。」       (『シルバーバーチの教え・下』 P168~P169 スピリチュアリズム普及会)

◆——絶対に生き永らえる望みなしと判断した時、少しでも早く死に至らしめるための手段を講じることは許されることでしょうか。許されないことでしょうか—— 
「わたしはあくまで“人間は死すべき時が来て死ぬべきもの”と考えております。」      (『霊的新時代の到来』 P156 スピリチュアリズム普及会)

◆——人間が寿命を完 (まっと)うせずに他界することを神が許されることがあるのでしょうか。
 「神の意図は、人間がより素晴らしい霊的生活への備えを地上において十分に身につけることです。熟さないうちに落ちた果実がまずいのと同じで、割り当てられた地上生活を完うせずに他界した霊は、新しい世界への備えが十分ではありません。」       (『スピリチュアル・メッセージ』 P232 ハート出版)

◆「地上的観点から、つまり物質的観点からのみ人生を眺めれば、病弱な身体を持って生まれた人は健全な身体を持って生まれた人よりも、物的には不幸の要素が多いと言えるでしょうが、その意見は霊については当てはまりません。身体が病弱だから霊も気の毒で、身体が健全だから霊も豊かであるという方程式は成り立ちません。実際にはむしろ宿命的な進化のための備えとして、多くの痛みや苦しみを味わうことによって霊が豊かになるという考え方のほうが正しいのです。」    (『スピリチュアル・メッセージ』 P204~P205 ハート出版)

◆「地上生活で生じるいかなる苦難も、自分の内部および外部の力を総動員しても解決できないほど大きなものはありません。その解決のための必死の努力が、霊性を磨き一段と大きく成長させるのです。地上生活の究極の目的はそこにあるのです。難問に遭遇し、それと格闘し、その結果として霊的成長を得るということです。」      (『シルバーバーチの新たなる啓示」 P139  ハート出版 )

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